なぜ人によって価格が異なることがあるのか
- Daniel Tanaka
- 2025年12月19日
- 読了時間: 3分
私たちは、値札に書かれた価格を「絶対的なもの」だと思い込んでいます。
スーパーやコンビニに行けば、誰が買ってもおにぎりは150円であり、そこに個人の感情や過去の人間関係が介入する余地はありません。
しかし、一歩その「固定価格の世界」の外へ出ると、経済の全く異なる顔が見えてきます。実は、「人によって価格が異なる」ことこそが、本来の経済の姿なのです。
固定価格は「効率化」が生んだ新しい仕組み
スーパーのように、見ず知らずの人に一斉にモノを売るビジネスモデルは、人類史においては比較的最近発明されたものです。
大量生産・大量消費の時代において、一人ひとりと価格交渉をするのは非効率すぎるため、「誰に対してもこの価格」というルールが作られました。
しかし、本来の「交換」はもっと身近で、泥臭く、人間味のある場所で行われてきました。
近所の八百屋で「いつもお世話になってるから、これおまけしとくよ」と言われる。
あるいは、友人のプログラマーに「君の頼みなら格安で受けるよ」と言われる。
これらは単なる「値引き」ではなく、そこに至るまでの「価値の積み上げ」が形を変えて現れたものです。
「あなたならこの価格でいい」の裏側
なぜ、特定の誰かに対してだけ価格が下がるのでしょうか。
それは、その人が既に別の形で価値を提供しており、等価交換のハードルがすでに下がっているからです。
金銭を支払うという行為は、本来「不足している価値を補う」ためのものです。しかし、もしあなたが日頃から相手を助け、情報を与え、喜ばせているとしたらどうでしょう。
相手からすれば、あなたから受け取っている価値の総量はすでに大きく、わざわざ高い金銭を受け取らなくても、心理的な「等価」はすでに成立してしまっているのです。
「あなたなら、この価格でいい」という言葉は、「あなたは既にそれだけの価値を私に払ってくれています」という信頼の証明に他なりません。
「ギブの精神」が引き起こす個人的デフレ
ここに、現代社会を賢く、豊かに生きるためのヒントがあります。
私たちが「ギブの精神(与える姿勢)」を持てば持つほど、周囲の人々にとっての「あなたに対する等価交換のハードル」は下がっていきます。
その結果、あなたの周りだけで「個人的なデフレ」が起こり始めます。
世の中の物価が上がっていても、あなただけは誰かから食事をご馳走になり、誰かから格安でスキルを貸してもらい、誰かから無償でチャンスを譲り受ける。これはあなたが過去に振り込んだ「目に見えない価値」の利息を受け取っているだけといえるでしょう。
お金という「共通言語」の限界を知る
お金は便利な共通言語ですが、それだけが価値の尺度ではありません。
固定価格の世界だけで生きていると、「いくら払えば何が手に入るか」という計算ばかりが先行します。しかし、人間関係をベースにした交換の世界では、「どれだけ先に与えたか」が自分の人生の物価を決めていきます。
「人によって価格が異なる」という事実は、不平等なことではなく、むしろ人間関係の豊かさを表す指標です。
もしあなたが、もっと自由に、もっと豊かに生きたいと願うなら、固定価格のマーケットで戦うだけでなく、自分の周りに「価値の貯金」を作ってみてください。
あなたが与えれば与えるほど、あなたの人生におけるあらゆるサービスの価格は、魔法のように下がっていくはずです。


